2012年5月12日 (土)

弁護士と結婚する方法58〜この人って弁護士なんだなあと思う瞬間

【場面1:朝起きる時】
我家では、目覚まし時計の他に、BOSE(愛称「坊主」)の目覚まし機能を使っています。大体クラシックかボサノバなどのCDを入れておくのですけれど、何もディスクが入っていないときはラジオが流れることになっています。ラジオ局の中ではJ-WAVEさんがアタクシの好みなので、そうしてあるのですが、いつからでしょうか、ラジオ番組のスポンサーにとある有名法律事務所が加わりました。


坊主「えいてぃわんぽいんすりー♪じぇーいうぇーいゔ♪」
夫 「ああ・・・起きなくちゃいけないけど嫌だ・・・」
坊主「・・・broad to you by □MI総合法律事務所♪」
夫 「うわああああ!!」※別に夫の所属事務所ではありません。

夫は「朝から苦い肝をなめている気がするし、今まで寝ていた寝具が薪になった気がする」と言っていました。・・・それはつまり「臥薪嘗胆」ですね。夫も朝から爽やかな気分になれませんし、アタクシも知っている人がそこに所属していたりするので、どうも気になります。寝る前にちゃんと坊主にCDが入っているか気をつけています。


【場面2:結婚式の打ち合わせ】
アタクシ達の結婚式のとき、夫はまず一体どの形式で行うのか悩みました。まずキリスト教は二人とも信仰しておらず、教義も知らないし、クリスマスに多少便乗する程度なので、葬式のとき予想される形態との一貫性をとって仏式にするか、それとも神前式にするか、あるいは宗教によらない人前式にするか、ということになりました。仏式は会場が非常に限られるため落選。人前式は「家族や友人や恩人に結婚を誓うってことになると、その人達に『離婚していいよ』『さあ離婚しなさい』と言われたら、簡単に離婚してよいことになるので、拘束力というか規範としてどうにも弱くないですか?」みたいなことを言い出しました。そんな訳で、神前式が第一候補となりましたが、宮司さんによる祝詞などを含め、前時代的と言いますか、現行日本国憲法の精神と著しく反するようなことが式で行われないか、夫は模擬挙式を見学。また神前式で新郎が読み上げる「誓詞」の文章、あれには式場が用意して下さるひな形がありますね。大体の男性は、あれをそのまま読まれると思うのですが、何と夫は「約束できないや不確定要素があまりにも多過ぎる事柄は、神様に約束できない」と言ってひな形の一部を削除、及び加筆いたしました(←契約書か何かか?つまりは、そうなんでしょうね)。


【場面3:友達が相手方になったら】
夫と非常に仲の良い弁護士さん(Xさん※夫とは別の事務所に所属)は、夫の所属する事務所の後輩弁護士さんが担当する案件で、相手方の代理人になったことがあります。「Xさんって手強いですよ・・・」という後輩弁護士さんに向かって夫は「彼はもちろんやり手だよ。だけどね、そこは叩き潰すんだよ。」と言ったそうです。Xさんとはいつも家族ぐるみで遊びに行くほど仲良しなんですけれども、「それはそれこれはこれ」なようであります。当たり前か。

【場面4:サエコさんの離婚の時】
ダルビッシュ有さんとサエコさんの離婚のとき、サエコさんの提示した養育費の金額が高額だったので、彼女はえらく嫌われたことがありますね。第一に「強欲過ぎるのではないか」第二に「そもそもダルビッシュのようなスター選手を支えようとせず、あまつさえ離婚することは、女性として誤った選択である」ということが、バッシングの主な理由だったのではないかと思います。夫は「どうせ離婚するなら、ダルビッシュがメジャー入りして渡米する、移籍に伴うまとまった金銭がある、この時期が離婚に最も適した時期であるし、はじめに思い切って高額を提示してみることは特段おかしなことではない」とサエコさんを全面支持しました。・・・まあ、これはダルビッシュ投手が、離婚騒動の最中にも全く成績を落とすことなく、サエコさんがいようがいまいが、何を言ってこようが、プレイに一向差し支えないということが証明されたからですけれども。


・・・・他にもいろいろあるんですが、結構面白いんですね。

2012年5月 6日 (日)

おねだり上手と言わないで

ハインデルの「Dancer in black on black」が我家に無事届いております。写真をアップしたいのですけれども、以前記事に書いたように特殊な黒のため、全然キレイに撮ることができません・・・。壁にかけるのもいいのですが、床にどかっと置いておくのも素敵で、ぽへーっと間抜けな顔で観ているのですが、油断していると大体間抜けな顔をしているところを夫に見つかって「鑑賞中ですね」と笑われてしまうのでした。ところでアタクシは販売スタッフの方に「おねだり上手ですね」「そうやって可愛く頼めばいいんですね」と言われることがあります。・・・そうかなあ?どうでしょう?


アタクシは一時期買い物でちょっと信じがたい金額を浪費した黒歴史から、買い物を抑えるために、全く自分用のものでも、なるべく夫と買い物に行くようにしています。①夫は忙しいため一緒に行くとなると必然的に買い物の回数が減る、②一緒に行くと夫に買ってもらっているのだ感が強まるため遠慮が生じて無駄な買い物をせずに済むし販売スタッフの方の攻勢も(うまくいけば)夫婦連携プレーでかわせる(こともあるかもしれない)、③一緒にいる夫に意見を求めるために夫の好みが反映されて双方満足できる、というメリットがあります。だからどうしたって気もしますけれども。「自分の稼ぎで自分の好きなものを好きなだけ買えばよいだけで、自力でしっかり経済を回せ」というちゃんとした女性には頭を垂れるほかありません。

ハインデルの版画を買ったときには、夫があっさり「じゃ、これ頂きます」と言ったときに、「えっ?本当に私の趣味のこれにしてもらっていいの!?他にも素敵な作品はあるし」と聞いたときに、スタッフの方に「ご夫婦でいらっしゃって、こういう反応をなさる奥様は初めてです」と言われました。買ってくれることにびっくりしたのと、夫が青を基調とした作品にも目をとめていたものですから確認したのですけれど、「『わーい!!』ってなる前に『本当にいいの?』って聞くところがきっといいんでしょうね♡」ということでした。でも人にプレゼントしてもらうときに卑屈になる必要はありませんが、相手の意見を聞いてお願いする姿勢になるのは・・・おねだり上手っていうのとはまた別なのではなかろうか。


それはともかく、真におねだり上手なのはアタクシの実妹であります。彼女が独身時代につきあったり、つきあったりしてない男性達に買わせまくったブランドバッグやアクセサリーはもの凄い数にのぼるのでした。ディオールの限定バッグのためにボーイフレンドを何時間も行列に並ばせた武勇伝の持ち主です(自分は1秒たりとも並ばなかったらしい)。「あなたが買ってくれたものを身につけることによって、ワタシはより『あなたのもの』になるのよ」という、意味わからんちんな台詞、というか呪文を使っていたそうですが、アタクシがそんなことを言ったところで何の効き目もない気がします。すごいな、アイツ。※母方の祖母は「バルス」のような呪文を持っているらしいので、そういう能力が隔世遺伝しているのかもしれません。祖母の「バルス」についてはまた今度。

その「他人に商品を買わせるテクニック」というのは彼女が仕事についている間も遺憾なく発揮されまして、彼女は勤めていた会社(すんごい有名企業だったんですけど)で、「全国セールスレディトップ10」入りを入社1年目から果たし、常にランキング上位に居続けました。その頃うだつのあがらない院生生活を送っていた姉であるところのアタクシは、妹が「1位」をとったあかつきには、話術はあるがなぜか文才は致命的にない彼女のゴーストライターになって「営業成績全国1位美人セールスレディのなんとかテクニック」的な本でも書いて、運良くヒットしたら美人の妹に講演ツアーでもやってもらって、姉妹で一稼ぎできないものかと密かに企んでいたのですが(阿呆すぎる)、妹は「1位」をとる前にそれまでの実績をかわれて部署を異動し、義弟と出会い、寿退社したのでした。なかなか都合良くはいかないものであります。

妹には妹なりの営業に関する努力があったので、それこそ今頃芦屋から「おねだり上手で片付けんといてー!!」と叫んでいることでありましょう。

映画「愛のむきだし」

この映画は園子温監督作品で、やたらめったら賞をとったもので、さまざまな方が激賞しているので、ずっと観てみたかったのですが、なにせ237分の作品(DVDは前巻と下巻に分けられています)だから長い!長いでしょ、それ。ラヴェルのボレロにのってタイトルが出るまでに一時間もかかる。一時間プロローグだったのか。さらに、取り扱っているモチーフが、様々な種類の暴力、近親相姦、パンチラ盗撮、勃起、自慰、レズビアン、カルト、愛とは何か、宗教とは何か、家族とは何か、などなどで、「はまらなかったら立ち直れない」と躊躇していたのですが、連休を使ってようやく観ました。


結論としてはとても素晴らしい映画だったと思います。ただモチーフがモチーフだし、この長さなのでどなたにでも薦められる作品というわけにもいかないのが残念であります。どういう作品か、と言えば新興宗教「ゼロ教会」にマインドコントロールされてしまった少女(ヨーコ)を主人公の少年(ユウ)が愛ゆえに命がけで救い出す「大恋愛叙事詩」ということになります。そしてこの少年は、どうしても愛欲から逃れられない聖職者らしからぬ神父の息子であることから、「原罪」というものと日々向き合って苦悩する結果メチャクチャな行動にでるのですね。その少年の様子にゼロ教会の若き幹部(コイケ)は惹き付けられ、3人の摩訶不思議な三角関係が生まれる・・・そういうストーリーに237分も使うのか?という感じですけれども、観てしまえば「これだけ長いことには意味がある!」と納得してしまいます。そしてこのテンコモリモチーフをB級一歩手前でよくまとめたなあと感動してしまいます。それでですね・・・あ、ご飯食べよっと。


食べました。今日のお昼はタラコパスタです(タラコパスタはものすごい発明だと思う)。たらこの薄皮を丁寧にはぐのを忘れましたけど、何とかなってたのでまあいいや。大葉沢山のっけると美味しいですね。えーっと、「愛のむきだし」のハナシに戻りますと、最近「宗教って何ですか?」って一緒に勉強している子ども達に聞かれることがあります。子どもというのは非常に重要かつ難しい質問を投げかけてきますね(この間は「お金とは一体何か」と聞かれて難渋いたしました)。子ども達の念頭にあるのは、どうも神道や仏教ではなくて―それらはあまりに日常にとけ込み行事化し過ぎていて人間を動かす力はもはやないと思っているらしい―、キリスト教やイスラム教、そして新興宗教であるようであります。子ども達は日々世界の人々が宗教の違いによって争ったり、新興宗教のために身を滅ぼしたりするニュースに触れるので気になるのでありましょう。しかしキリスト教やイスラム教についてアタクシが子ども達に完全に教えることは一生かかっても不可能でありますので、超絶はしょって説明することになるのでした。こんな感じになります。


新興宗教というのは、教義としては伝統的宗教を現代のニーズに合わせて適宜加工したものなので、説明しない(←ええっ!?)。ユダヤ教とキリスト教とイスラム教も実は根っこは同じで兄弟みたいなものだ。キリスト教はユダヤ教から影響を受けているし、イスラム教はユダヤ教とキリスト教から影響を受けている。特に原始イスラム教はそのことをよく自覚していた。教典も「旧約聖書」「新約聖書」「コーラン」は内容的につながっている。「善」と「悪」が存在し、それがせめぎあい続け、最後の審判のときに「善」が勝つと考えられているのだけれども、そこまでの長く苦しい人間の戦いの中に、救世主が現れて助けてくれると希望を持つ。特に、肝心のその救世主がもう既にこの世に現れたイエス・キリストその人であると認定済みなのが「キリスト教」である。・・・・嗚呼乱暴すぎる・・・もっと上手く説明できないのかオマエは?と思いますが、この3つの宗教は本質的には矛盾しあったり、争いあったりするはずのものではなく、宗教というものは方法こそ多少違えど、あまねく人の心の平安を求めるのが本来の目的であるとアタクシは伝えたかったのでこうなってしまいました。

現代日本では、「宗教は怪しいインチキ」であり、宗教に傾倒する人を「自分というものがない精神的に弱いバカ」と見下す人達も結構いるのですけれど、歴史をふりかえると宗教無しでは達成できなかった偉業も多々あるわけで、信仰を蔑視する見方は、なんだか傲慢で薄っぺらい気がして、アタクシはそんなに好きではありません。現代だって全世界の9割くらいの人間には信仰する宗教があるのですから、「何の宗教も信じていません」と断言するほうが少数派なのです(少数派だから間違っているって言いたいわけじゃないんですけれど)。「何も信じていません」と断言する人も、「○○教」と名前がつけられていないがために、自分で気がついていないだけで、何らかの思想を妄信している可能性だってあるわけですし。先人が積み重ねた智慧で己を支えるというのは馬鹿なことでもなんでもなく、自分の発想は全く自分の力で生み出したオリジナルであって、それだけで一人で勝手に生きて行けると思い込んでいる方が、ちょっとアレっていうか・・・・まあ、そういう強い人もいるにはいるか。

しかしキリスト教が何でかしらないですけれども、歴史上様々な衝突をめげずに巻き起こしてきたのは「愛」を特別に重視する宗教だからではないかな?と思います。他の宗教を信じる人には「おせっかい」とか「醜女の深情け」と感じてしまうような一方通行なことも、あえて頑張る感じの。「愛のむきだし」でも、名作「ミッション」でも、新約聖書の引用として使われているのは「コリントの信徒への手紙13章」です。大切なのは「信仰、希望、愛」であり、そしてこのうち最も偉大なものは「愛」であると説く場所です。おそらく映画を制作した人達はこの箇所がキリスト教の特質を最もよく表していると考えたのでしょう。「愛のむきだし」の中でも一番素晴らしいシーンは、ヨーコ演じる満島ひかりさんがこの聖書の一節を絶唱する場面であると感じる方が多かったようであります。アタクシも名シーンと思いますですよ。BGMがベートーヴェンの交響曲第7番2楽章ですね。この曲は「英国王のスピーチ」のスピーチシーンでも使われていました。何か韻を踏みながら重大なことを話すのにこのテンポとメロディーはぴったりであります。


満島ひかりさんは良い女優さんですね。映画「悪人」では深津絵里さんの名演技が表彰されましたが、満島さんも若い女性ならではの負の部分を集めたような役をうまく演じていらっしゃったと思います。夫も「これは僕でも殺意を抱くかも」と言っていました。ユウを演じた西島隆弘さんは、AAAのメンバーなんですね。パンチラ盗撮アクションシーンがやたらキレてるなあと思ったら、もともと歌って踊る方でしたね。本当に演技上手いから、もう俳優業に専念しちゃったらどうでしょう(AAAのファンのみなさますみません)。コイケの安藤サクラさんは怖かったねー。大事なお嬢様をあんな怪物に育ててくれた奥田瑛二さんに感謝しよう。

2012年5月 3日 (木)

MY箏選び

先日夢の中でレンタル箏さんに叱られてしまったアタクシ。そう、この一年アタクシに付き合ってくれていた箏さんは、真由子先生からレンタルしていたものでした。レンタル期限は4月いっぱいまでだったから・・・もう切れちゃってるね。実家には子どもの頃に父がみつくろってくれた箏があって、それを送ってもらってももちろんいいのですが、アタクシもたまには広々した和室で弾きたいし、帰省したときにアタクシが琴を弾いていると父がなんでだか分かりませんがとても喜ぶので、とりあえず置いておくことにしました。念のために「あのお琴ってどれくらいのものだったのか」と親に確認したのですけれど、「んー、よく覚えてない」という抜けた答えが返ってきました。ただ、あくまでも「子どものお稽古用」と言って購入したものなので、日本の職人さんの手作りの13弦としてはかなり安価なもので、楽器としてはこれといった能書きを聞いていない、ということでした。

ここ一年お琴がとても好きだということが再確認できたので、自分で買うとしたら愛着がわくようなものを買いたいな、どんな箏を買おう?悩んでいたアタクシ。近年は中国で大量生産されたお琴もよく売られていて、それだと安いものでは新品で3万円くらいから手に入ります。またネット販売も浸透したので、新品だけではなく中古品も以前よりずっと手軽に買えるのでした。25年以上前に親が買ってくれたときよりも選択肢は格段に広がっているお琴市場であります。

真由子先生に相談してみると、「中国製の大量生産のものは音が悪いというだけではなくて、楽器として愛着がわかない結果モチベーションが下がると思うのでやめておいたがよろし」ということでした。また、お琴は、「200年前に作られたものが現在最もよい音を出す」と言われるヴァイオリンなどとは異なり、「50年くらいの寿命」であるそうです。そして他の楽器と異なるのは、購入時には糸が張っていないため「試し弾き」ということが基本的にできないので、お琴の形状を見て検討しなくてはならないのでした。お琴の良し悪しの大体の目安となるのは、龍角と柏葉の作りだそうです。お琴の各部名称はこんな感じ。むむ?小さくて全然分かりませんね。クリックすると大きくなる(はず)。

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Kotobeta


これが「べた琴」と言います。何も装飾がないので一番お安い。段々高級品になります。

Kotokakumaki

これは「角巻き琴」です。龍角にのみ装飾があります。

Kotohanuwa

そしてこれは「半上角琴」です。四分六板にも装飾があります。


Kotouwajpg


そしてこれが「上角琴」です。柏葉が象牙(など)で囲まれていますね。龍角と柏葉のつくりの良さが、胴体(っていうのかしら?)の木の素材の良さと大体比例するそうです。龍角に使われる木も花梨→紫檀→紅木の順で高級品となります。さらに高級なものは柏葉は中抜きというか、ふちのみの仕様です。さらにさらに高級なものは柏葉の部分が全部象牙で出来ていたりしますし、口前が象牙や鼈甲などの貴重な材質で出来ていることもあります。そして「舌」に芸術的装飾が施してあったりすると、どんどん値段は上がっていくわけであります。「舌」の装飾が楽器としての音色に何か関係があるのかは分かりませんが、音に関係があるものとしては「くり甲」と呼ばれる作り方で、甲と裏板の継ぎ目がわからないように木材が張り合わせてあるものは良い品であります。また内側の彫り方の技術が高度になるとお値段も上がってきます。またお琴というのは桐の木から何面か切り出して作るのですが、木の外側を使ったものほど良い音が出るそうです。木の外側を使ったものは木目が激しくうねっていて、芸術的文様のようになっており見た目も美しいです。木の中心部を使ったものは木目がほぼ均一にまっすぐはしっています。

しかし、もちろん装飾は質素にしてあるかわりに、本体の木材にはお金をかけて良い音色が出るようにしてある製品も沢山あるのだそうです。真由子先生には「琴光堂」という和楽器屋さんがおすすめだと教えて頂いたので、中目黒の琴光堂さんまでてくてくと伺いました。琴光堂さんは、3弦、13弦、17弦だけではなくて、20弦や25弦琴なども扱っていらっしゃって、糸締めやメンテナンスを勉強する若い方が全国から集う大変に有名なお店だそうです。お邪魔した時には20弦琴の糸締めをしてらっしゃいました。お店のご主人もスタッフの方もとっても親身になって相談にのって下さいましたです。

さて、お店では事前に予算を伝えてあったので、候補の13弦が6人(いえ、6面)並べてありました。それぞれ持ち味が異なります。このときにアタクシが「沢井箏曲院のお教室で習っています」と言う話をすると、ご主人いわく「沢井箏曲院のお教室の生徒さんなら木が硬いものが断然おすすめです」とのこと。会によって目指す音色というのは異なっていて、優しい雅な音が好みの会から、強くてツンと突き抜けるような音が好みの会まで様々なのでした。前者なら柔らかい木、後者なら硬い木が適しているそうです。柔らかい木は白っぽく、硬い木は黒っぽい傾向にあります。琴光堂さんでは日本の職人さんの手作りの琴しかおいてありません。大量生産の琴は「部屋では音色がワンワンするし、ホールでは響かない」のだそうです。

6人は金額の低い順に(い)(ろ)(は)(に)(ほ)(へ)と並べられておりました。(い)さんと(ろ)さんは半上角なのですけれども、木がそこまで良くないそうで、ご主人が「お稽古用としては自信を持っておすすめできますが、いつか物足りなくなられるかも」ということで候補から外します。(ほ)さんは半上角で龍角も紅木ですけれども、なんか木目がもやっとしていて、ご主人も「これは外しましょうかね」と言われたのでお別れであります。(は)さんと(に)さんは角巻琴ですが、その分木にお金がかかっています。(に)さんの方が木目の味わいは良いそうなのですが、硬さは(は)さんの方があって「沢井のお教室の生徒さんにはおすすめです」とのご説明でした。(へ)さんは1人だけ紅木かつ上角琴でどんな演奏会に出しても恥ずかしくなく、木の質も良いし硬いのですが、結果として(は)さんより14万円高いお値段です。会によっては、上角琴しか認めないというところもあると聞いたこともありますが、アタクシは(は)さんの装飾の少ないすっきりとした様子がむしろ格好いいと思ったので(は)さんにわが家に来てもらうことになりました。琴光堂さんが一恵先生(真由子先生の先生)のところに一番おさめるのが(は)さんタイプの箏だということなので、それならばバッチリではないですか。

本体が決まりましたら、次は衣装です。まるで嫁選びのようです。尾布と龍頭カバー(あれホントは何て名前なのかしらん)のデザインを決めるのですが、ご主人は良い生地のものをどんどん出して下さいました。よくあるものとしては赤とか朱色とかピンクとかの華やかな生地なのですけれど、ご主人は「せっかくなので、ちょっと変わっていて、しかも飽きがこないものをつけられてみてはどうでしょう」と色々見せて下さいました。古代裂風のものから印伝から、今まで見たこともないものがありました。中でも、ほとんど白地に紫と青の花がちょっとだけ入っているのがとても素敵だったし、ご主人イチオシ。(は)さんは硬いので黒っぽいですから、すっきりした白地が似合うのではないかということになって決定です。アタクシは雑念が多いので、というか雑念しか頭にないので、せめてお箏さんにはクールでいて頂こう。

わが家に運び込むのは5月11日という大安吉日を提案して頂いたので、そういう運びと相成りました。本当に嫁入りか何かのようなご配慮であります。ご主人は「今、他に何かお困りのことはおありですか?何でも承ります」と優しく聞いて下さったのですが、「一番困っていることは、自分が下手くそだということですけれども」と答えたところ(←オマエはバカか)、「ははは、それは当店ではいかんともしがたいことですので」とご主人とスタッフの方に笑われてしまいました。箏は文句無く格好いいので、あとはそれにふさわしくアタクシが格好いい演奏をしてあげなくてはいけません。お稽古しなきゃ〜。

2012年4月27日 (金)

ブーケトス

ちょうど今ぐらいの時期にアタクシ達夫婦は結婚式を挙げました。当時は何の気無しに披露宴を挙げることができた時期でしたけれど、いつだったかしら、2009年くらいのAERAで、「ブーケトスは人権侵害」という記事が掲載されたことがありました。その後ネット上ではブーケトス云々を通り越して、「披露宴なんていう学芸会レベルの自己満足コスプレイベントに貴重な時間とお祝儀(さらには服、ヘアメイク代、場合によっては交通費と宿泊費)を持って駆けつけさせるなど、呼ばれる方は単に迷惑なだけである」という意見が女性を中心として活発になり、特に新婦はうっかりすると「花嫁さま(笑)」「ウエディングハイ(笑)」などという批判を受けるかもしれない、かつてよりちょっぴり肩身の狭い立場になってしまいました。いや、そういった意見は前からずっとあったのでしょうが、匿名でネット上にぶっちゃけられるようになって勢いを増してきたのだと思います。


ブーケトスが人権侵害とはまた大きなハナシだな、と思って、件のAERAの記事を読んでみたのですが、未婚女性がブーケトスに臨まされるのが苦痛でならない、というところで終わっていたので、結局のところ人権問題とは全然繋がっていない内容でした。確かにブーケトスというのは参加者がオトナになってくると盛り上がりに欠けることもあるもので、アタクシの友人も30歳で結婚した時、ブーケトスをしましたが、女性達が全くブーケを取りに行こうとせずに、2回もブーケが地面に落ちるという事態の発生を目にしたことがあります。花嫁がおおらかだったので、特に問題にもならず、本当に良かったのですけれど。・・・・と、このように、20代後半以降の女性が招待されている結婚式だと、なかなかブーケを積極的に取りに来てもらえないので、司会の方が出席者の中で未婚の女性の名前を順番に読み上げて「どうぞ前方にお進み下さい」という運びになったりします。AERAに仮名で出てくる女性達は、このように自分が「未婚女性」としてアナウンスされて参加を求められることを「プライバシー権の侵害である」「結婚するのが女性としてあるべき姿という価値観の押しつけである」と受け取るのだ・・・・というような内容の記事でした。ふーん、憲法13条の問題・・・ということですか?

とにかく花嫁がブーケを後方に向かって放り投げるという行為そのものは、この場合重要な意味は持たず、その際に「どの女性が未婚であるかが発表され、ブーケトスへの参加を促される」というのがおそらく問題とされているのでしょう。これが、プライバシー権の侵害なのかなあ・・・。結婚式のブーケトスの場で「未婚女性」の名前が呼ばれるということは、逆に、呼ばれない女性は「既婚女性」である、というプライバシー(なのか?)が公開されているわけです。「この女性は既婚女性である」ということが明確になってもプライバシー権が侵害されているとは主張されないのに、「この女性は未婚女性である」ということが明確になる場合にのみ、権利が侵害されていると感じたり、それを主張するというのはあんまり整合性がないんじゃないか、と思います。第一ある個人が法律上「既婚」か「未婚」かというのは人間の社会生活において、完全に「私的」な領域の事柄とも言えません。充分に公的な意味を持つ領域と言えます。

「宴のあと事件」などは、メディアで公開された個人の私的情報について問題となった事例で、判決では、①公開された内容が、私生活上の事実または事実と受け取られるおそれのあることがらであること、②一般人の感受性を基準にして当該私人の立場に立った場合公開を欲しないないであろうことが認められることがらであること、③一般の人々に未だ知られていないことがらであること、④公開によって当該私人が実際に不快/不安の念を覚えたこと、などが「救済の要件」として挙げられていますが、未婚の人に関しては、「この人は未婚である」という紛れもない真実を、実際には当人の周囲にいるほとんどの他人は知っているわけですし、はっきりと知っていてもらわないと、明らかに当人に不都合となる場合があるのですから、要件を満たさない気がします。また、メディアでの情報公開と、親族知人友人の集う結婚式での情報公開は性質の違うもので、この要件をあてはめようとすることも、そもそも何かおかしい感じですね。


おそらくより問題になるのは、プライバシー権や自己情報コントロール権よりはむしろ、自己決定権の方かな、と思います。ブーケトスに参加するように促されることが「ブーケトスは、結婚することが女性のあるべき生き方だという価値観を押し付ける行為で、自己決定権を侵害している」ということでしょう。しかし、自己決定権というのは、本来的には政府が個人の行動を規制することを念頭において、それに対して保護されるものとされているのですから、結婚式の演出のひとつという全くの私人間の行為にはなじまないのではないでしょうか。そうすると頭に浮かんでくるのは、「私人間効力」ですけれども、間接適用説をとったときに「ブーケトスにどうぞ参加してあげてください」ということが、民法90条に反するとは到底思えません。大体「ブーケトスに参加して下さいと求められる」ことが即ち「望まない結婚を強要されている」と考えることはできない。それに「結婚しない人生を選択する権利」というのは、日本国民には24条で厳然として保障されているのであって、ブーケトスごときで揺らぐものではないのではなかろうか。嫌ならば断固としてはじめからブーケトスに参加しなければよいような気もします。第一、13条で想定される各権利って実際には、そんなにがっちり保障の枠組みが確立されてないような気もする。

さ、憲法の勉強を始めた大学1年生にも足りないようなことをグダグダ書いたのは、別に本当に憲法について考えていたのではなく、AERAは随分妙な記事にも頁を割くようになったんだなあ、と最近よく思うようになったからです。アタクシが高校生だったころはもうちょっと硬派な雑誌だった気がするんだけれど。誤解を招くから、簡単に「人権侵害」とかいう言葉は使わないほうがいいような気がしますです。どうせやるならもっと真面目にやらんかい。「週刊金曜日」ならもっと頑張る気がする。でも、結婚というのは慶事なのですから、あんまりグルグル考えずに単純に「おめでとう!!」と受け止めるのが良いのではないかと思います。あるいは、自分がこれまであまり出たいと思えない結婚式に呼ばれたことが一度もない幸運を喜ぶべきなのかもしれません。

山手ホームの大塚君

※この記事の中の施設名、個人名は全て仮名であり、虚偽は書いてはいませんが、細部を変更しています。さて、アタクシが学習支援スタッフとして関わらせて頂いている児童養護施設「山手ホーム(仮名)」でありますが。ここではアタクシは主に中学生の男の子と一緒に勉強しています。発足時はいわゆる戦災孤児の養護のための施設でしたが、近年は親御さんからの虐待によって、児童養護施設で生活することになったお子さん達が多数を占めています。そういった生い立ちからすぐに想像出来ることですけれども、そういった家庭では、子どもというのは、落ち着いた心で机に向かって勉強するという習慣を身につけることはなかなか難しく、同じ年齢のごく普通のご家庭のお子さんに比べて学力が遅れていることがままあります。


施設職員さん達も、施設を出たあとに人に遅れをとらないよう、懸命に励まし導いていらっしゃるわけですけれども、何せ児童福祉法というのは制定されたころからほとんど変わっていないというか、少なくとも児童養護施設に関しては、昭和30年代からあまり進展しておらず、未だに6人の子ども達(うち2人は幼児)に対して1人の職員さんが衣食住/生活指導/心のケアを一手に引き受ける、というどう考えても無理矢理な配置がそのままとなっており、きめ細かく一人一人の勉強をケアしたくても限界というものがあります。しかも、義務教育を終了したあとに、学籍を持たない子どもというのは原則としては15歳から施設を卒業して自立しなくてはならないという現実的ではない制度が続いております。2012年現在、15歳の子どもが自立する、というのは相当に困難なことであり、何とか高校卒業までの学歴は手にしてから社会に旅立ってもらいたい、ということでボランティアスタッフ一同頑張っているのでした。


もちろん子ども達も中学生となれば、「山手ホームはいきなり自分を追い出したりしないところだけれども、原則としては15歳になれば学籍というものがなければ、施設から出て行かなくてはならないのだ」ということを知っていて、たとえ勉強が苦手なお子さんでも、直前期の追い込みというのは凄まじいものがあり、「高校に行きたい」という思いの切実さというのは、普通のご家庭のお子さんとは質の違うものがあります。山手ホームの去年の中三5レンジャーは見事都立高校に合格を果たし、本当にアタクシは嬉しかったです。先日勉強会に行きましたら、去年度まで一緒に勉強していた田端くん(仮名)と上野くん(仮名)は、それぞれ凛々しい制服姿を「のうのうさん、これが高校のだよー♪」と着て見せてくれて、アタクシは感無量でした。よく似合ってるよ♡

さて、去年に引き続き大塚くん(仮名)という中二の男の子と一緒に勉強しているのですが、この子の学力というのは、本当に胸が痛むことですが、小学校4年生の時点で止まっているのでした。他のお子さんに比べて3年分程ズレが生じていることになります。大塚くんは何か障害を抱えているわけではありません。大塚くんは親御さんの都合により、日本全国を転々とし、本人が話してくれたところによると「小学校4年生からは自分が今一体何ていう土地に住んでいるのか分からなかった」ということでした。転々としながらも、その都度転校の手続きをとって学校に通わせる親御さんならまだ良かったのでしょうが、そういった手続きは一切なく、彼は山手ホームに来るまでの間、まともに学校に通っていなかったのであります(現代日本でこんなことが起こるとは愕然としてしまいます)。それは中学校の授業になかなかついていけなくて当然であります。


大塚くんの国語力は、漢字は小学校4年生までで止まっていて、「ま行」の平仮名を苦手にしています。カタカナも「ン」と「ソ」、「ツ」と「シ」の書き分けが曖昧です。数学方面に関しては「分数」という概念を理解できていません。英語に関してはアルファベットが全く読めないし、書けないという状態でした。田端くんと上野くんも、アニキとして大塚くんの勉強に関してはとても心配してくれていました。アルファベットが身に付いていないのですから、教科書に何が書いてあるのか、先生が学校の授業で何て言っているのかよく分からないので、とにかく教科書の復習と予習が中心です。「俺ヤバい、全然分かんない」と焦る大塚くんに「大丈夫、あなたは全然ヤバくない、ゆっくりゆっくり文字を追って」と励まし続けて頑張ってもらった結果、abcde・・・の区別もつかなかった大塚くんが、中一の3学期には、英語の教科書の1頁を暗唱するという学校からの課題をクリアできるようになり、田端くんと上野くんも「大塚は良く頑張ったと思う」と一緒になって喜んでくれました。まだまだ定期テストで点数を伸ばすまではいっていないですけれども、本当に大きな進歩です。何より大塚くんが、これまでの遅れを理由に投げやりになることなく一生懸命取り組んでくれたのが嬉しいことでした。

児童養護施設のお子さんの中にも、勉強に向いていて本当に得意としているお子さんももちろんいらっしゃいます。でも大体のお子さんは、平均的なお子さんに比べて2、3年のハンデをおっていることが殆どです。それにも関わらず、社会に出て行くときには全く同じラインでスタートを切ることを求められるので、彼らの多くは苦しむことになります。いくら「勉強だけが全てではない」と言っても、四則演算ができない、アルファベットが読めず書けない、という状態で人が働いていくことは難しいですし、社会では「私はこういう恵まれない生い立ちだったのです」という抗弁は成り立たないのが現状です。どうしたら彼らが親御さんと同じ道を辿ること無く、それぞれの幸せを手に入れられるのか、簡単には解決方法はみつかりませんが、誰かは心配しなくてはなりません。

パフェ♡

ある日のことですが、アタクシは体調が思わしくなかったので、今日は家事はちょっと手抜きさせてもらおうと思って、メールで夫に「今日は本当なら洗濯ものを干したほうがよい晴天なのだけれど、出来てなくても突っ込まないで下さい」と送ったのでした。そうすると夫から「そういえば冷蔵庫にあるカレイが賞味期限間近だった気がするから加熱したらいいと思う」という返信があったので、「家事については今日はお願いだから突っ込まないでって言ったのに(泣)」という非常に面倒くさい反応をしてしまいました(反省)。

夫「洗濯に範囲を限定されれば、それ以外の料理については意見して構わないのかなと思うのが法律家的な発想ですよ。家事全般についての要望だったならもうちょっと一般化して包括的なルールとして言って下さい。それは君なら理解してくれるはずだ!」
妻「でも洗濯についての要望から類推適用することによって、それは料理についての要望にもあてはまるのではないかという解釈も可能ではなかろうか」※この辺りから殆どふざけています
夫「類推適用ですと!?君は結婚というのは、対等な両者によって成り立つような、そんな民法チックな甘っちょろいものだと考えているのですか!」
妻「だって家族法は民法にあるし」
夫「違います!そもそも権力というのは・・・・」
妻「権力?結婚って憲法チックなものなんですか?大体わが家での権力ってあなたが持ってるんじゃなかったっけ」
夫「何言ってるんですか!権力を持っているのは君であって僕ではない!」
妻「でもわが家の財政はあなたによってもっているわけだし」
夫「僕は勤労の義務と納税の義務を果たしている国民側なのだ!」


・・・・何ともくだらない会話であります(失礼しました)。さて夫婦でのんびりと夕食を食べていた幸せな日々はあっという間に終わってしまいました。そして夫は深夜帰宅後も勉強しているのですけれど、一日の仕事で疲れ切った後に勉強してもなかなかすんなり頭に入ってこないということで、ここ数日早朝に起きて勉強しております。朝早いから昼食の間までにエネルギーをかなり使ってしまっているであろうということで、朝食を少しは多めに食べてもらいたいということで品数を増やしてみているアタクシ。それにしても病気が重かったときは朝食なんて殆ど作れなかったな・・・。


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品数を増やしたといっても、このようにどってことないものなのですけれど・・・。この3日間でびみょうに僅かずつ増える。AKB48の前田敦子さんはブログを拝見すると、毎朝かなりしっかりした朝食をとっていらっしゃるらしく、卒業なさるというお話は聞いておりますが「不動のセンター」の馬力はやはり朝食から来るものであろうか、と常々感心しているのです。しかし、なかなかあそこまで豪華なメニューは短時間では用意できないアタクシであります。脳の働きを活性化させるためには糖分が大切とよく言われていますけれど、糖分を一気に取りすぎるとインスリンが景気良く出てかえって低血糖になってしまうので、長く効くタンパク質を朝意識して採るのが良い、ということでしたので、卵やチーズ、ハムなどを入れてみています。それから、夫が喜ぶのが「パフェ」であります。パフェといいましてもスイーツとしてのパフェではなく、カットした果物をグラスに盛って、ヨーグルトをかけ、レーズンをトッピングするのが、わが家の「パフェ」であります。家族や友人がわが家に泊まりに来た時に朝食に出したのですが、見た目が何となく可愛らしいので、夫は何やら気に入っているようなのでした。


2012年4月26日 (木)

沢井箏曲院演奏会

22日は、真由子先生が所属している沢井箏曲院(この春からアタクシも所属)の演奏会でした。”THE SAWAI”(←何となくアルファベット表記にしたくなる)という感じの曲目がずらっと並んでいたので楽しみにでかけるアタクシ。真由子先生も、息子さん達も、真由子先生がメンバーの箏カルテットの先生方も、去年のお浚い会で調弦お手伝いに来て下さった先生方も、続々出演であります。午前11時から午後19時まで全46曲の長い演奏会で、「気になる曲だけ聴いてあとはホール近くの新宿御苑とか行ってのんびりしようかな」とか思っていたのですけれども、出演されたみなさまの白熱した素晴らしい演奏に夢中になり、ほとんど全曲ずーっと聴き続けた結果、ちょっとお尻が痛くなりました。


プロの有名な箏演奏家の方も、アマチュアの方も一緒になっての演奏会なのですが、趣旨は「一門下生の立場での勉強会」なのだそうで、それぞれの方がご自分の限界に挑戦するかのような難しい曲ばっかりでびっくりして感動。そして殆どの方が独奏曲であることにまたびっくりして感動。沢井比河流先生の「斜影」という曲は、CDでよく聴いていてとても好きなのですが、ところどころ一体どうやって演奏されているのか想像しかできない箇所があり、実演されているところを初めて見たわけですが、お箏ってすごく色んな側面や表現方法があるのだということを改めて実感しました。琴はとても古くからある楽器なのですが、実はまだまだ無限の可能性を持っているように思いました。「斜影」1曲だけでも発見が多いのに、46曲あるから、覚えておきたくても頭の容量オーバーです。哀しいわ。でもとにかく聴くだけでも勉強になりました。いつか出演者の方々のように弾けるようになったらなあ・・・。いつの未来になるか分からないですけれども。そういうことがあるとすれば、おそらく来世だと思います。


バイオリン弾きでクラキチの夫は、箏曲はあまり肌に合わないらしいのですけれども、比河流先生の曲は好きなのだそうで、後半から珍しく邦楽を一緒に聴いてくれました。真由子先生の長男さんの演奏(沢井忠夫作曲「翔き」)を聴いた後、その素晴らしさに感心し「すごいねー末恐ろしいねー。もういっそ君は長男さんから習ったらどうでしょう?君が中学の勉強を一時間教えて、長男さんが箏を一時間教えるっていう方向で」と、そう思っても無理もないけれども若干乱暴なことを言っていました。日頃のお稽古の賜物ですけれども、やっぱり男の子って明瞭な力強い音が出せていいな☆しかし、真由子先生の長男さんの年頃、アタクシは前に所属していた会でどうしていたんでしょう。大合奏曲で出たことは出たのですが、控え室で衣装を着て、友達ときんつばとか、もなかを呑気に食べていた記憶しかありません。あんまりな差であります。


それが日曜のことでして、その夜「アタクシももっと練習しましょう!!」と決意したはいいのですが、児童養護施設山手ホームでのボランティア活動をする団体Yの役職になぜかついてしまい、ちょこっとだけですが、覚えなくてはいけない作業とか情報があり、おろおろおろおろ一週間過ごしていたために練習が少ししか出来ず、嗚呼これでは真由子先生に格好良いところが絶対に見せられない、と思っていたところ、夢に、わが家にやって来ているレンタル箏さんが出て来ました。

レンタル箏さん「・・・・・」
アタクシ   「・・・・・」
レンタル箏さん「今週アナタ○○分しか練習してないわよ」
アタクシ   「ぁぅぁぅ」
レンタル箏さん「練習するって宣言したばっかりでしょ」
アタクシ   「そうだけど、でもでも今週は忙しくって・・・」
レンタル箏さん「誰よりも暇人なくせになに言ってるのよ」
アタクシ   「それはそうだけど、心の余裕ってものがなくて・・・」
レンタル箏さん「そんな言い訳ばっかりしてるから上手くならないのよ!」
アタクシ   「ごめんなさいごめんなさい」
レンタル箏さん「4月いっぱいで私のレンタル期限切れちゃうのよ!!」
アタクシ   「一年間お世話になりました」
レンタル箏さん「元とれるくらい弾いたって胸張れるのか!!」
アタクシ   「ごめんなさいごめんなさい」


大体こんな感じの夢でした。愛の説教部屋でした。そして木曜の今日、真由子先生とのお稽古だったのですが、「三つの遊び」は卒業です。しかし今のアタクシのレベルではこれが限界とはいえ、もっともっと手直ししたい箇所が沢山あって悔いが残りました。ぼちぼち自宅で練習してもうちょっと良くしよう。真由子先生からは「親指の置き爪をしないように頑張っている成果は少しずつ出てきましたけれど、結構まだやってしまいがちなので今後とも課題として気をつけましょうね」とアドバイス。そしてちょっと嬉しかったのは、今まで人差し指や中指の不必要な動きによる雑音もアタクシ的には気になっていたものの、先生に「今はそこは気にしないでいきましょう」と言われていたのですが、ようやく「これからは、そういった要らない音をなくすように心配りをしていきましょうね」と言って頂けたことであります。来週からは沢井忠夫先生作曲の「金襴」。久しぶりに二面での合奏曲です。


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日頃のお礼もこめてアタクシ達夫婦から真由子先生への花束であります。


2012年4月22日 (日)

ちょっとミャンマーに行った気分

「アジア最後のフロンティア」ということで、何かと話題になっているミャンマー。ボランティアで一緒に勉強しているお子さんの中に、ミャンマーにルーツがある子(Fさん)がいるんですね。それで、Fさんに「15日に日比谷公園でやる水祭りに一緒に行こうよ」って誘ってもらったんです。水祭り/水かけ祭りは、東南アジアの仏教国ではお正月(仏暦による)にあたりまして、大体4月15日が最終日であるそうであります。ミャンマーでは5日間ほど連続してお祭り騒ぎになるんだとか。もともとは仏像を水で清めたり、水を手にかけあって穢れをはらうという行事だったのですが、現在はそういったことももちろん行われますけれども、若い人々の間ではとにかく歌って踊って豪快に水をかけまくる無礼講の楽しいお祭りになっているようです。そしてFさんが教えてくれることには、ティーンの間では「好きなコに特に沢山水をかける!!」ことになっているそうです。つまり、「なんかあのコやたら俺(私)に水かけてくるなあ」と思うような異性がいれば、そのコは自分に好意を抱いているということになるらしい。そういう訳で、水祭りは恋の生まれる時期、だそうです。本当ー?青春だー楽しそうー♡※都市伝説かもしれません。


水祭り@日比谷公園に行くと、アウンサンスーチーさんの肖像画が掲げられたメインステージではラップが披露されていました。日本在住のアマチュアの方々だそうですが、とってもお上手です。それにしても伝統的なお祭りだから民族舞踊が中心なのかと思っていましたが、いきなりラップでした。ちょっとびっくり。スーチーさんの下に集ってラップとはちょっとシュールな感じもします。ミャンマーの方々は洋楽、特に踊れるダンスミュージックが大好きなんだそうです。「映画とかドラマも欧米のものが好まれるの?」とFさんに聞いてみますと「映画とかドラマは韓国のが人気!!」ということでした。ミャンマーの人達が韓国ドラマ見るんだ、韓流ってすごいね・・・。ミャンマーではまだ、テレビ局や映画界は発展途上で、予算をかけて娯楽作品を作るところまではいっていないようです。


Fさんは日比谷公園で沢山のお友達に久しぶりに会えてとても嬉しそうでした。Fさんにとっては日本の学校は少々窮屈であるようです。日本の学校での人間関係の難しさ、というのをよく相談されるのですが、100%日本人のアタクシでも中学生までは何だかいろいろ面倒くさかったからなあ、気持ちはわかりますですよ。「空気読む」とか、さまざまデリケートなコミュニケーション能力を必要とされますからね。ともかく、Fさんのお友達に紹介してもらってとっても嬉しかったアタクシであります。後半のステージでは伝統舞踊が中心でして、それに出る女の子もFさんのお友達にいらっしゃいました。舞台衣装がとっても似合っていて可愛かったです。日本でもミャンマー舞踊が習える教室があるのだそうで、日本に来てからもずっと習い続けていることもあってとてもお上手でした。とってもキレイだったので写真撮らせて頂きましたが、えーとその女の子は一般の中学生なので、ブログにのっけるのはやめておこう。


日比谷公園では屋台が沢山出ていまして、ミャンマー料理を楽しむことができます。アタクシは屋台の売上げに貢献しようと思って張り切ってでかけたのですが、どこに行ってもFさんのお知り合いが「Fに勉強教えてくれてるんですってね!じゃあご馳走しないと!!」といって奢られてしまうのでした・・・。お土産までもらって帰ってきてしまった・・・。ああ、スミマセン。一日を通じて何となく感じたのですが、ミャンマーの方々は気前がよいというか、人に食べ物を振る舞うことが一つの功徳をつむ行為だと考えていらっしゃるようです。沢山ご馳走になりました。ありがとうございます。しかし、何か買わんと、と思って書籍屋台に行ってみたところ、「人権系」といいますか、民主化を強く提唱する本が中心でした。Fさんが紹介してくれたミャンマーの大人の方に聞いてみますと、日本での水祭りというのは、民主化を強く支持するグループが開催しているので、本も主にそういうテーマのものを紹介するようにしている、だから、日本に在住しているミャンマー人でもそういう政治的立場をとっていない人達は、残念ながらこのお祭りにちょっと参加しづらいかもしれない、ということでした。なるほど、それでステージの上に政治的シンボルとしてスーチーさんの肖像画を掲げているのですね。

日比谷公園でのお祭りも楽しかったですけれど、それより心に残ったのはFさんとご両親にミャンマーのお寺(@日本のX区)を案内してもらったことですね。はじめ水祭りに誘われたとき、日比谷公園で待ち合わせるのかと思ったら、「お寺で朝ご飯食べてお参りしてからだよー、うちの親ものうのうさんにご馳走したいって言ってたから」ということで、8時にお寺に行って朝ご飯をお寺で頂きました。皆さんは早朝5時くらいから準備してらっしゃったそうです。チャーザンジェというスープとフルーツ盛り合わせを頂きました。


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Fさんも「作るの、ちょっと手伝った」そうです。美味しかったです。皆さんが集うダイニングの冷蔵庫は半分で線が引かれていまして、何のしるしでしょうと思ったら、線より右に入っているものはお坊さんが食べるもの、左は一般の方が食べるものという区別がしてあるのだそうです。お坊さんは戒律上食べてはいけないものがあるから、間違えないようにこうやって線を引いて区切っているんだとか。とにかく皆さんが作って持ち寄った手料理がタッパーとかどんぶりとか小鍋に入って一杯詰め込んであります。日本に在住のミャンマーの方は好きなときにお寺に立ち寄ってお祈りし、こうして持ち寄られたご飯をみんなで食べて楽しむそうなんですね。お寺がミャンマーの方々にとっては大切なコミュニティー形成の場所なのです。毛布とか簡単な衣類/肌着が男女両方用パッケージに入ったまま大量にストックしてある一角があって、本当に困った場合お寺に駆け込めばなんとかなる、という機能もあるらしい。ところで、お坊さんは朝5時と昼11時に食事をして、それ以降は食事はとらないそうです。皆さんが食事するテーブルの隣に別に丸いテーブルがあって、そこにだけ簡単なテーブルクロスがかかっていたので、どうやらお坊さんはこちらで食事するようだと分かりました。お祈りが終わったあと、皆さんは老若男女問わずこぞってお坊さん二人の食卓を整え始めます。湯のみは他の信者さんのはバラバラなんですが、お坊さん用のは、緑に花模様のキレイなペアがとってあるようです。お箸やカトラリーもきちんと並べられて、本当はナプキンの上に置きたい気持ちなのかもしれませんが、そこはつつましくティッシュペーパーで代用です。この「ティッシュで代用」が清々しかったというか、出来る範囲で精一杯用意するのって本当に美しいことだと思いました。皆さんがお坊さんを心から尊敬している気持ちが非常によく伝わってくるので(お坊さんもまた立派な聖職者なのだった)、心打たれるアタクシでありました。

心打たれる、といえば、お祈りもとても良かったです。ダイニングとは別に仏間がありますが、そこでみんなでお祈り。現代の日本のように専らお坊さんが読経するのではなくて、お坊さんも一般の方も一緒にお祈りの言葉を唱和する形式で行われます。Fさんももちろん唱える。アタクシは残念ながらミャンマー語のお祈りの言葉を知らないので黙って手を合わせる。印象としては「般若心経」より簡単だけれども、「南無阿弥陀仏」よりはずっと複雑なお祈りでした。短時間で終わります。その後お坊さんの説法ですが、ひと区切りついたら仏間から出たい人は自由に出ていって、お坊さんのお話をもっと聞きたい人、個人的に相談事がある人、ひとりでゆっくりお祈りしたい人は好きなだけ仏間に残っていました。興味深かったのは、日本では、お寺に信仰心から来る人々というのはごく一部の年配の方というイメージですけれども、ミャンマーの方は若い人でもごく普通にお祈りのためにいらっしゃるということです。髪の毛を格好良くセットしたオシャレな男子学生さんが率先して仏間に供えるお水とかを用意なさる。日本でオシャレな若い男性がお寺に行く時というのは、うーん、多分セレブ寺の仏教美術とか仏教建築とか庭園に知的好奇心を抱いている場合であろう。日常に自然に信仰が結びついているのは、何だか羨ましいことであります。Fさんは「退屈とか窮屈じゃなかった?」と気遣ってくれましたが、大丈夫です、日本の法事というのは退屈に窮屈にしようと思えば、けっこうなハイレベルまで退屈に窮屈にすることが可能なので、あれに比べればちっとも退屈じゃないし窮屈でもない。いや、日本の法事だってアタクシは大切なことだと思って参列しているんだけれど、形式を整えたり見栄をはることに重点がいっちゃってるような気も時々して・・・いやいや、形式を整えることにも意味はあるんだけれど、そこに気持ちや信心が足りてないとどうしようもない感じになるんだな。

しかし面白かったのは、ミャンマーの方は仏像に電飾を施して「後光」がさしている雰囲気を出そうとするところです。他の国の仏像でも彫刻によって後光の感じを出そうとしているものがありますが、今は21世紀だ!実際にダイオードで光らせてしまえ!ということなのでしょうか。仏壇を見てちょっとその大胆な発想に驚きました。お寺には沢山ミャンマー語で書かれた教典や仏教書があるのですが、ミャンマーの字ってまるまるっちくて可愛いなと思って手にとっていたら、Fさんに「のうのうさん、それ上下逆さまだよ・・・」と言われました。文字発明以降綿々と続いてきたであろう古典的なコントをやってしまいました。お坊さんお二方に、Fさんと一緒に勉強していることについてお礼を言われましたけれども、お二方がされていることに比べれば、アタクシのやってることはどってことないことであります。

2012年4月17日 (火)

弁護士と結婚する方法57〜衣食住のすりあわせ

3月中に一緒に勉強しているお子さん達の各種卒業イベント、春休みの宿題のヘルプなどが終わりまして、ヒマになったアタクシ(もともとヒマですけれども)。それでちょっと家事の方に力が入った一週間でした。いつもよりこまめに丁寧に掃除や洗濯したり、お花飾ったり、料理したりです。アタクシは料理上手ではありませんが、春なので、筍やワラビや菜の花やウド、新ジャガに新玉葱などなど、各種春野菜が出ていて、献立を考えるのも楽しいですね♡夫も去年からやたら大きい案件があり、それほど騒がれなくても抱える案件は複数あり、共著の執筆もありで、よく過労で倒れなかったなと思う程忙しかったのですが、ここしばらくは人道的な時間に帰宅して、夫婦で一緒に「夜食」ではなく「夕食」が食べられたのでした。夕食のあと夫が何をしているかといえば、結局「仕事」ですけれども・・・。それでも片付いた自宅で、調べ物をしているときに妻がコーヒーやおやつを運んでくるというのは、それなりにほのぼのすることであるらしいのでした。「こういう幸せな日々がいつまでも続けばいいのに」と夫は言っておりますが、そうねえ、絵に描いたような幸せな日々は長くは続かないというのが世の常ですけれども(←なに不吉なこと言ってるんだ)。

さて、先日母に「唄物をやったのはアタクシの記憶違いか」を確認しましたが、母も「記憶違いか」と思ってアタクシに確認したい事柄があったそうです。

母「私キャベツの千切り、アナタか○○(=妹)に頼んでたわよね?」
の「フライ料理の日には『誰か〜キャベツ千切りして〜』って頼んでたよ」
母「そうよね!それでどっちかが千切りしてたわよね?」
の「少なくとも私はやった」
母「きゅうりの小口切りの特訓したのどっちだっけ?」
の「それは私。高校の家庭科で『きゅうりの小口切り大会』があったから」
母「・・・今思うと割とヘンな高校だったわよね。良かった記憶違いじゃなくて。アルツハイマー発症かと思って恐怖に震えたわよ」

・・・・?どうも妹がお料理のことで義弟とよく喧嘩になるらしいのでした。キャベツの千切りの幅が太過ぎるとか、胡瓜の小口切りの幅が太すぎるとか、そういうことで。新婚のころは義弟も何も文句言わなかったらしいけれども、もう結婚して3年目で妹も家事育児に専念している状態なので、結構きつく言われてしまって、妹はそれなりに哀しいそうだ。母は、「ウチの娘はキャベツの千切りくらいマスターしていたはずですよ!」と思って帰省中の妹にキャベツの千切りをさせてみたところ、残念なことに出来なかったので、娘二人が家にいたときにキャベツの千切りを頼んでいたのは幻か何かだったのかと不安になったそうです。・・・・つまり、やってたのはアタクシだけだったってことか。それは知らなんだ。というハナシを夫にしておりましたら、

夫「ふーん、○○くん(=義弟)も見た目によらず細かいねえ」
妻「○○(=妹)も意外に気にし屋さんだったみたいだし」
夫「お姑さんに習っておけば良かったのに、せめて好物くらい」
妻「そうねえ、自分もお義母さんには色々学ぶ点が多いから」
夫「何か習ってたっけ?」
妻「合理性と栄養バランスと薄味を追求する基本スタイルですよ」


夫と一緒になって8年ですが、これまでのところうまくいっている一つの要因として衣食住に関して趣味が一致していたり、かなり近かったのでそれぞれのやり方に固執せず、擦り合わせがスムーズに行われたというのもやはりあると思います。外食(中食)産業や家電製品、家事の外注が普及したといっても、なにがしかはそこに住む人の手でやらなくてはいけないのですものね。それに吉本隆明さんが「自分の手料理で家族に支配力を持てない女性はある意味で不幸である」みたいなことを書いてらっしゃったり(文脈とか細かい言葉のニュアンスは失念しましたが)、『赤毛のアン』でもアンがギルバートと結婚したとき、先輩の女性から「美味しい料理を拵えて、あとは目を離すな!」とかアドバイスされてましたね。昨今はスーパー専業主婦も流行らないとは思いますけれど、「季節を感じさせる日本の家庭料理」が作れたら、結構喜んでもらえるので嬉しいですね。辰巳芳子さんの料理本は参考になります。2012年現在読むと、かなり読み物としても興味深いですし。今は、アサリの潮汁のためにアサリさん達には、砂を吐いていただいています。もぞもぞ動いているアサリさん達はとても可愛らしいですが、アタクシの夫が帰ってくるころには生きながら熱した鍋の中に投入されてしまうのかあ、まっこと「殺生」であるなあ、と思うのでした。

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